礼儀的無関心
最近、現代人類学者として 野村 雅一の文章 から礼儀的な無関心という言葉を学びました。英語は civil inattention です。まず、礼儀的無関心はどんな状況かを説明します。その言葉は最初、アメリカの 社会学のアーヴィング・ゴフマンの著書『集まりの構造』のなかで沢山お互い知らない人が同じ空間にいる状況でアメリカの社会の作法を「儀礼的無関心」と名づけました。 みんなさん、エレベーターや電車に乗た経験があるというのは言うまでもないことだと思います。その時、隣の人と挨拶や話すことをしましたか。私は日本にいるときの経験として無表情でいたり、携帯を使ったり、本を見たりする場面が多いです。もし、ちらっと視線に合っても次の瞬間で視線をそらし、相手に特別な好奇心や意図がないことを表現します。エレベーターに乗る場面の中に人がいるとき、次に入る人は無言でボタンを押したり、携帯を見たりするなどが多いケースである気がします。 そして 台湾にいるときもどんな場合があるかを考えます。 エレベーターや電車に乗たときに日本と似ている場面だと思います 。でも、私は大学の学期が終わって帰省の途中で 2 、 3 回ぐらい隣の人と話したの記憶があります。でも具体的な内容は何一つ覚えていません。隣の人と話したくないことやすこし考えたいことがあるときにもあります。 木村さんは番組での行動を巡り、ネット上で激しい誹謗(ひぼう)中傷を受けていた 儀礼的無関心は現代人の一つ能力だと言っても言い過ぎではありません。その作法は相手に安心感を与えて相手のことを気配があって他人を干渉しない ということです。しかし、特に都市などの人口密度が高いところは礼儀的無関心は本当の無関心になるそうです。例えば、「あの人は 誰かが 助ける必要があるかもしれません」というとき、「自分が助けなくても、誰かが助けるでしょう」と思います。そういう考え方も多いと思います。その現象はインターネット上にも拡大しています。特に最近、匿名で誰かに悪いこと言ったり誹謗したりすることができます。そのことはみんなに無関心で対応する結果は当事者の心を傷つけることや病気になることの可能性が高いです。だから、礼儀的無関心が必要なことだと思いますが場合によって無...